ホールの歴史
1952年、第一生命ホール誕生
1952年、皇居のお堀端に面した第一生命館の6階に「第一生命ホール」が産声をあげました。元来は、1938年に完成した第一生命館の社内集會室であり、GHQに接収されていた時代には、GHQの集会、礼拝、演劇なども行われていました。1951年夏、平和条約が調印され、第一生命館がGHQより返還されると、矢野一郎社長の決断で、集會室は「第一生命ホール」として一般に貸し出されることになります。戦後、新聞社や放送局、学校などの他には民間の貸しホールなどがなかった時代のことです。
日本を代表する室内楽演奏会場のメッカに
1952年、近衛秀麿指揮する近衛管弦楽団の第一回定期演奏会で幕を開け、1950年代前半には近衛管の定期演奏会やN響室内楽団等の室内鑑賞会をはじめとする公演が頻繁に行われ、「第一生命ホール」は瞬く間に日本を代表する室内楽演奏会場のメッカとなりました。1950年代後半には、邦人室内楽ホールとしての最盛期を迎えます。また、「第一生命ホール」から全国ラジオ放送された「音楽の星座」や「花椿アワー」は、クラシック音楽ファンの裾野を広げました。60年代、70年代に入るや、プロムジカQの邦人初のベートーヴェン弦楽四重奏全曲連続演奏会など、邦人演奏家の活動の場として広く指示されるばかりか、演劇・邦楽・落語など様々な公演にも利用されてきました。
37年の歴史の幕引き、そして新たな歴史の幕開け
1989年、第一生命館の保存・改築に伴い、第一生命ホールもまた37年間に渡る活動を終えました。そして21世紀の幕開けとなる2001年。かつてのホールを出て晴海通りを海に向かって進んだ街、晴海に誕生した未来都市トリトンスクエアに、歴史ある「第一生命ホール」の名を冠する音響空間が再び生まれ、新たな歴史を刻みはじめたのです。
参考文献:渡辺和著『ホールに音が刻まれるとき-第一生命ホールの履歴書』ぎょうせい, 2001年